横浜デートコース・ショッピングコース・グルメコース・横浜ベイエリア・中華街・横浜元町・山下公園・夜景スポット等満載

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横浜松坂屋の創業者「茂木惣兵衛」


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茂木 惣兵衛(もぎ そうべえ、1827年(文政10年) - 1894年(明治27年))は、横浜の実業家であり、原善三郎と並ぶ明治時代における横浜商人の象徴的人物である。

茂木惣兵衛は上野国高崎(現群馬県高崎市)にて、質商大黒屋茂木惣七の長男として生まれた。
幼名は惣次郎。

10歳で新田郡太田の太物商今井仙七の家に奉公し、才能を認められ支配人に抜擢される。26歳には桐生の絹物商新井長兵衛の養嗣子となった。その後開港間もない横浜における野沢屋庄三郎率いる野沢屋と協力し、生糸商人として頭角をあらわす。万延元年(1860年)に養子として、横浜商人石川屋平右衛門の石川屋を相続するが、文久元年(1861年)9月の野沢屋庄三郎の死をきっかけとし、一年ほどして野沢屋の暖簾を譲り受け石川屋を野沢屋と改称し、野沢屋惣兵衛として独立した。野沢屋庄三郎は諸説あるが、横浜開港の年より生糸を取り扱った横浜最初の生糸売込商人と言われている。

惣兵衛の故郷高崎は生糸の生産地である関東北部や信州からも近く、彼自身生糸に詳しかったことが推測され、その後の地道な努力により幕末の混乱期を乗り切り、明治9年(1876年)には生糸売込商首座となり、それは惣兵衛の生存中ほぼ維持された。温厚で謙虚な人物であり、人相では耳たぶの大きな福耳に特色があったと伝えられている。

晩年は明治16年(1883年)に茂木保平を名乗り保平家を新たに興し、甥の保次郎に惣兵衛家を譲った。茂木惣兵衛は惣兵衛家の家督を持つものが名乗り、三代目まで存在する。

惣兵衛没後野沢屋は茂木商会を合名会社とし、野沢屋呉服店、野沢屋輸出店、野沢屋絹商店、茂木銀行、茂木土地部など、多角的に事業を行い総合総社化し、茂木財閥として大拡張したが、大正の第一次世界大戦後の不況に巻き込まれ、三代目茂木惣兵衛のとき崩壊した。

伊勢佐木


野沢屋の暖簾が消えることを惜しんだ絹物輸出商の亀井信次郎と、茂木家の縁者であった名古屋の瀧家の瀧定助(正太郎)により、野沢屋呉服店は独立し、後に野沢屋百貨店として横浜市民に愛された。
現在の横浜松坂屋である。
横浜松坂屋は茂木惣兵衛を創業者として尊重している。

墓地は横浜市中区の相沢墓地にある。

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テレビ神奈川


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所在地 神奈川県横浜市中区太田町2番23号

株式会社テレビ神奈川(テレビかながわ、Television KANAGAWA, Inc.)は、神奈川県を放送対象地域とする放送局である。略称はtvk。地上波アナログ放送のコールサインはJOKM-TV。地上波デジタル放送のコールサインはJOKM-DTV。神奈川新聞と、密接な関係を持つ。

沿革とサービスエリア


1972年4月1日開局。独立UHF放送局である。視聴エリアはアナログ放送では、神奈川県全域、山梨県の約半数、東京都(23区、多摩)の2/3位、千葉・埼玉・静岡各県の一部565万3千世帯である(エリア表)。デジタル放送では、神奈川県内と東京都の大部分、千葉県の一部、2006年7月からケーブルテレビを通じて山梨県中西部などの一部地域も加わる(デジタル放送のエリア表)ただし、東京都を経由し受信する埼玉県・千葉県などの場合、都内のビルなどに遮られ受信困難になることもある。また茨城県・栃木県・群馬県では混信などの影響で受信困難である。

2004年4月、横浜市中区太田町に横浜メディア・ビジネスセンター(神奈川新聞社と同居)が完成。5月10日、開局以来三十数年使われてきた中区山下町の社屋から移転した。社屋移転を契機として、局の愛称が長年使われた「TVKテレビ」から「tvk」に変更され、またコーポレート・スローガンとして「ヨコハマ開放区」が導入された。

2004年12月1日12:01に地上デジタル放送(18ch・リモコンキーID3)を開始した。デジタル放送開始時の放送エリア(10W)は横浜市、川崎市の大部分(両市の北部を除く)および横須賀市、東京都の一部となっていた。2005年12月1日には平塚送信所(100W)が開局し、鶴見送信所の出力もフルパワー(1kWとなったため神奈川県東部の全域と千葉県の一部と湘南地区の大部分(三浦半島の一部を除く)でも視聴できるようになった。なお、2007年3月には小田原デジタル中継局が本放送を開始(エリアは南西部と静岡県伊豆半島東部)した。また、データ放送は2005年4月より自治体情報を中心に開始、ワンセグも2006年6月1日に開始している。

放送エリアは神奈川県全域はもちろん、東京MXテレビが開局するまで長らくUHF局がなかったため東京都内でも受信している世帯が多い。またUHF局の中でも、音楽番組を中心に魅力的な番組編成からか県内でのUHFアンテナ普及率は他県に比べて高く、埼玉県、千葉県でもアナログ放送で受信している世帯がある。条件によっては静岡県、山梨県などでもアナログ受信は可能。デジタル受信は出力や送信設備の関係でアナログよりシビアではあるものの、アナログが良好に視聴できる状態であれば基本的には可能。なおアナログ波区域外再送信しているケーブルテレビ局も多く、順次デジタル波の再送信も開始されている。


社屋・放送施設


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本社・演奏所
横浜市中区太田町二丁目23番地(横浜メディア・ビジネスセンター内) 〒231-8001
旧本社・演奏所(放送センター)
横浜市中区山下町69番1号 〒231-8542(現在はマンションになっている)
旧業務センター
横浜市中区山下町123番1号 クリードビル内 〒231-0023


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フェリス女学院大学

フェリス


フェリス女学院大学(ふぇりすじょがくいんだいがく、英称:Ferris University)は、神奈川県横浜市泉区緑園4-5-3に本部を置く日本の私立大学である。1965年に設置された。大学の略称はフェリス。 明治3年(1870年)、アメリカ改革派教会の宣教師、メアリー・E・キダーが、ヘボン施療所で英語の授業を開始、その後フェリス女学院中学校・高等学校となり、これを発祥とするミッション系大学である。明治8年(1875年)には、横浜・山手178番に校舎・寄宿舎が落成、「フェリス・セミナリー」と名づけられた。昭和22年(1947年)に専門学校を設置し、昭和25年(1950年)に短期大学に改組、昭和40年(1965年)に4年制の大学となった。

モットーは、"For Others"。「他者のために・他者と共に」という意味で、新約聖書のフィリピの信徒への手紙中、「Do not merely look out for your own personal interests, but also for the interests of others.」に由来する。


所在地

緑園キャンパス - 神奈川県横浜市泉区緑園4-5-3(文学部、国際交流学部、音楽学部1・2年次)
山手キャンパス - 神奈川県横浜市中区山手町37(音楽学部3・4年次)


フェリス女学院大学を卒業した有名人

フェリス女学院大学文学部英米文学科卒業

有賀さつき


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フェリス女学院大学文学部英米文学科卒業

大神いずみ


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フェリス女学院大学文学部英文学科卒業

佐藤里佳


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横浜国立大学


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横浜国立大学(よこはまこくりつだいがく、英称:Yokohama National University)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区常盤台79番1号に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は横国(よここく)。地元の横浜市の一部や学内では、国大(こくだい)とも呼ばれる。


大学全体

新制大学発足以降、学部・大学院共に整備・改組が順次行われ、現在4学部4研究科(連合研究科を除く)を設置し、少数精鋭化と大学院教育研究の重点化が進められている。

日本の国立大学の中で、唯一大学名に「国立」の文字が入る。

1876年に設置された横浜師範学校を母体とする大学である。第二次世界大戦後、学制改革が実施され、旧制官立学校を整理した上で国立大学を新設することとなった。横浜地区では旧制横浜経済専門学校・旧制横浜工業専門学校・旧制神奈川師範学校・旧制神奈川青年師範学校の四旧制官立教育機関を統合して、新制大学(以下、本節内では新制国立大学)を設置することとなった。新制国立大学は名称を「横浜大学」とする予定であった。しかし、旧制横浜市立経済専門学校及び旧制横浜専門学校も新制大学への改組にあたって同じ大学名を申請しており、名称に関しては三者間で協議を行うこととなった。この協議において、各校は「横浜大学」の名を使用しないことで意見の一致を見ることとなり、新制国立大学は「横浜国立大学」という名称を使用することに決定した。また、旧制横浜市立経済専門学校は「横浜市立大学」、旧制横浜専門学校は「神奈川大学」という名称を使用することとなった。


所在地


常盤台キャンパス(神奈川県横浜市保土ケ谷区常盤台79番1号)
サテライトキャンパス
みなとみらいキャンパス(神奈川県横浜市西区みなとみらい二丁目2番1号横浜ランドマークタワー18階1809室)
田町サテライトキャンパス(東京都港区芝浦三丁目3番6号キャンパス・イノベーションセンター3階306号室)
弘明寺キャンパス(神奈川県横浜市南区大岡二丁目31番3号)


出身著名人

日本テレビアナウンサー・阿部哲子


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B'z・稲葉浩志


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横浜市内を走る電車【1】京浜急行電鉄



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京浜急行電鉄株式会社(けいひんきゅうこうでんてつ、英称:Keihin Electric Express Railway Co.,Ltd.)は、東京都港区に本社を置く大手私鉄。東証一部に上場し、芙蓉グループを構成する企業の一つである。通称京浜急行(けいひんきゅうこう)、略称京急(けいきゅう)。パスネットの符丁は KQ。グループ全体でのコーポレートスローガンは、「あんしんを羽ばたく力に」。

公式略称は「京浜急行」としていたが、2007年(平成19年)12月1日より「京急電鉄」に変更した。それに伴い駅掲出のポスター・チラシ類などにおいて略称表記を順次「京急電鉄」に変更している。ウェブサイトでは、引き続き「京浜急行」の表記が使われている。かつては英語略称として、K.H.Kを使用していた。

東京都港区から神奈川県川崎市、横浜市、さらに三浦半島へ至る鉄道路線を運営している。近年は羽田空港へのアクセス鉄道としても利用されている。また都営地下鉄浅草線、京成電鉄押上線・本線・東成田線、北総鉄道北総線と相互乗り入れを実施しており、千葉県北部の千葉ニュータウンや成田空港まで乗り入れている。交通事業の他に流通事業・サービス事業・不動産事業なども経営する。

1987年6月1日には、同年に民営化した 東日本旅客鉄道(JR東日本)との差別化を意識し、コーポレートアイデンティティ (CI) の一環として、それまで「京浜-」としていた10駅名を「京急-」に改称した。

近畿日本鉄道、京阪電気鉄道、西日本鉄道などとは羽田からのアクセスPRなど相互の旅客誘致運動を推進している。


歴史


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歴史的には、旧東海道川崎宿に近い六郷橋から川崎大師まで標準軌で開通した、大師電気鉄道にさかのぼる。同社は日本で三番目、関東では最初の電鉄会社であった。

東京市電との相互乗り入れを目論み、一旦は1372mmの馬車軌間に改軌を行うが、後に子会社となる湘南電気鉄道による三浦半島方面の延伸線への乗り入れを行うために、再度標準軌に改軌された。

1942年には陸上交通事業調整法に基づく戦時統合により東京急行電鉄(大東急)に併合されるが、1948年に京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄(現:京王電鉄)の3社が分離し、現在に至る。


路線


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現有路線 総延長キロ数 : 87.0km
■本線 : 泉岳寺駅 - 浦賀駅 56.7km
■久里浜線 : 堀ノ内駅 - 三崎口駅 13.4km
■逗子線 : 金沢八景駅 - 新逗子駅 5.9km
■大師線 : 京急川崎駅 - 小島新田駅 4.5km
■空港線 : 京急蒲田駅 - 羽田空港駅 6.5km

廃止路線
■大森支線 : 大森駅 - 大森海岸駅 0.7km

未成線
■衣笠駅付近(現在の衣笠十字路付近)- 林 : 着工後に終戦となり中止。
■久里浜線 : 三崎口駅 - 油壺駅(仮称): 事業廃止
■湘南電気鉄道 : 日ノ出町駅 - 桜木町駅 : 計画線。現在は計画線の用地に沿って家屋が建てられている。

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大正・昭和のイメージを再現した電車を運行  

京浜急行


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京浜急行は、創立記念日の2008年2月25日から1年間、大正・昭和に活躍した車両をイメージした「レトロ」電車を運行する。

1000形6両編成(1309編成)は、昭和20年から30年代に活躍した車両をイメージしたラッピングをして京急本線(泉岳寺~浦賀)を、大正から昭和初期に活躍した車両をイメージした同4両編成(1321編成)は、京急川崎~小島新田間を、それぞれ運行させる。

1309編成は、6両のうち1編成を「ありがとうギャラリー号」と命名し、利乗客から応募した絵画・写真を展示する。

(J-CAST)


横浜市営バス

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横浜市営バス(よこはましえいバス)は、横浜市交通局自動車部が運営する公営の路線バスである。


路線


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横浜市内中心部である中区・西区を中心に、磯子区・金沢区・南区・港南区・戸塚区・保土ケ谷区・旭区・青葉区・緑区・都筑区・港北区・神奈川区・鶴見区と川崎市幸区[1]に路線網を有している。路線の総営業距離は2008年現在540kmほどで、毎日の利用数は約38万人である。後述の沿革により、市内では市営バスの他に多数の民営事業者がバスを運行しており[2]、市営バス路線網の中心地といえる横浜駅にも民営事業者[3]の路線が多数乗り入れている。かつては市内各地から横浜駅へ路線が集積する広い路線網であったが、近年の経営効率化のための路線移譲や廃止、短縮などにより縮小傾向にある。

一般路線の他に、横浜市街地での観光に特化した特殊路線や、市内での小規模な貸切運行とスクールバスを運行している。

各路線には数字のみの系統番号が附番されている。附番にはほぼ規則性がなく、一部において同一系統でも異なる路線が存在したり、往復で異なる系統であったりと多少複雑な面がある。また深夜バスや特殊路線などにも、行先表示には掲出されないが書類上の系統番号が存在する。一桁から300番台の系統まで存在しており、現在運行されている系統数は144本程である。



特殊な路線


市内遊覧バス


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横浜市営バスでは、横浜市内の名所を巡る市内遊覧バス「ベイサイドライン」(定期観光バス)の運行も手掛けている。かつては滝頭営業所が担当していたが、現在は保土ケ谷営業所が担当しており、書類上の系統は151系統である。

通年設定されているコースは一日コースと半日コース(午前・午後)の3種類があり、いずれも横浜駅東口から出発する。車両は通常の観光バスを使用していたが、近年は観光路線ブルーラインで使われていた2階建てバス(ヨンケーレ)を専用車に充当している。

2005年と2006年には夏期限定ではとバスとの共同運行による夜のコースが設定された。その影響か2006年からははとバスのガイドが乗務している。

主な見学地(2007年7月現在)
みなとみらい21地区(一部コースでは横浜ランドマークタワー展望台〈スカイガーデン〉見学)
港の見える丘公園・山手外人墓地
山下公園(一日コースは遊覧船シーバス乗船)
赤レンガ倉庫
三渓園(午前コースと夜コースは設定なし)
横浜ベイブリッジ(首都高速湾岸線の本牧JCT~大黒PA往復)
横浜中華街での昼食(午後コースは設定なし、一日コースは昼食後横浜大世界入場)
過去に設定された見学地
横浜スカイウォーク(ベイブリッジ大黒埠頭側の展望施設)
横浜市電保存館
日本丸メモリアルパーク(横浜マリタイムミュージアム)


みなとみらい100円バス


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日の出町駅前 - 桜木町駅前 - ジャックモール - パシフィコ横浜 - 赤レンガ倉庫

みなとみらい21地区を運行する路線バスであり、運賃は大人100円・子供50円となっている。現在運行しているのは循環運行の日ノ出町駅ルートで、運行日は土曜日・日曜日・祝日・振替休日だが、夏休み・冬休み・春休み期間中は平日も運行する。滝頭営業所が担当しており、車両はCNGノンステップバスが優先的に充当される。系統番号は掲出されないが書類上の系統番号は163系統である。かつては桜木町駅ルート、横浜駅ルート、大さん橋・山下公園ルートも存在した。


あかいくつ


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往路:桜木町駅前 - パシフィコ横浜 - 赤レンガ倉庫 - 日本大通り - 中華街(朝陽門) - 山下公園前 - 港の見える丘公園
復路:港の見える丘公園 - 山下公園前 - 大桟橋 - 赤レンガ倉庫 - パシフィコ横浜 - 桜木町駅前


観光スポット周遊バス「あかいくつ」は、2005年3月に横浜高速鉄道みなとみらい線沿線の観光施設を巡る路線バスとして運行を開始した。運賃は大人100円・小児50円で、バスカード等の利用はできない。当路線専用のレトロ調バスで運行され、桜木町駅から港の見える丘公園で折り返し、再び桜木町駅に戻る循環運行路線である。前述の廃止となったみなとみらい100円バス桜木町駅ルートおよび大さん橋・山下公園ルートを統合したと考えられる路線ルートをとる。系統番号は掲出されないが書類上の系統番号は271系統で、本牧営業所が担当している。

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ちなみに、このバスは2007年4月~6月に日本テレビ系列で放送されたドラマ「喰いタン2」第3話で、主人公達が乗っていた同車がテロリストに銃撃されるシーンに登場した(横浜が舞台になっているため)。このときの運転には、カースタントの前歴を持つ市営バスの現役運転手が選ばれた。



臨時営業路線

37系統


37:横浜駅西口(第2) - 三ツ沢グランド前
37:東神奈川駅西口 - 三ツ沢グランド前

かつては市民運動会の開催日に運行されていたが、Jリーグ発足以後は、三ツ沢球技場でサッカーの試合が行われる際などに運行されている。運行に際しては、全営業所から車両が充当される。行先表示は「三ツ沢グランド」となっているが、実際は直行便のため途中停留所はすべて通過し、三ツ沢グランド前まで運転する。なお、三ツ沢グランド前バス停は三ツ沢公園の敷地内に存在し、通常営業の路線は乗り入れないバス停となっている。横浜駅西口発着便については原則として北軽井沢を通るが、復路の横浜駅西口行については翠嵐高校前を通る場合がある。

49系統


49:横浜駅前 - 大桟橋(急行)
49:桜木町駅前 - 大桟橋(急行)

かつては花月園競輪場への送迎バスにこの番号が付されていたが、現在は大桟橋への送迎バスに番号が付されており、横浜港国際客船ターミナルに大型客船が入港する際に稀に運行される。浅間町・本牧営業所が担当。なお、2003年から2005年までみなとみらい100円バスに「大さん橋・山下公園ルート」があったが、こちらは横浜港国際客船ターミナルに大型客船が入港していなくても大さん橋に発着していた。


花月園競輪場シャトルバス


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鶴見駅西口 - 花月園競輪場
東神奈川駅前 - 花月園競輪場
花月園競輪場→東神奈川駅西口→横浜駅西口


花月園競輪場で競輪が開催される日に運行される無料送迎バスである。鶴見駅西口発着は港北・鶴見両営業所の担当で臨港バスとの共同運行、東神奈川駅・横浜駅西口方面は鶴見営業所の担当となっている。横浜駅西口行は花月園競輪場発のみの運行で、途中東神奈川駅西口に停車する。


営業所


横浜市営バスの営業所と各担当路線は以下の通り。

磯子営業所 - 横浜市磯子区森三丁目1-19
8・10・58・61(交)・63・64・70・85・94・99・113・117(交)・215・293・294系統
港南営業所 - 横浜市港南区日野南三丁目1-1
2・45・51・52・107・111・112・130・351(51深夜)・367(107深夜)系統
港北営業所 - 横浜市港北区大豆戸町字塚田581
14・38・41・67・88・104・129・300・301・302・304・308・355(41深夜)・356(41深夜)・370(301深夜)系統
浅間町営業所 - 横浜市西区浅間町四丁目340-1
26・31・34・35・36・44・50・53・57・59・82・83・87・105・106・201・202・291・292系統
滝頭営業所 - 横浜市磯子区滝頭三丁目1-33
9・21・68・78・101・102・103・113・133・135・156・158・163(みなとみらい100円バス)・219・361(21深夜)系統
鶴見営業所 - 横浜市鶴見区生麦一丁目3-1
7・13・15・16・17・18・19・27・29・46・48・86・103・109・128・155・181・213・290・365(13深夜)系統
保土ヶ谷営業所 - 横浜市保土ケ谷区川辺町4-2
5・22・25・28・32・34・35・50・62・75・79・89・101・115・136・151(定期観光バス)・210・211・212・218・358(25深夜)・362(50深夜)・374(210深夜)系統
本牧営業所 - 横浜市中区本牧元町45-1
8・20・26・54・57・58・91・97・105・106・148・222・271(あかいくつ)・363(8深夜)・364(105深夜)・366(103深夜)系統
緑営業所 - 横浜市緑区白山一丁目10-1
所管系統:1・12・33・36・39・41・56・73・74・80・82・90・92・119・124・221(鴨居・東本郷線)・305・306・310・353(56深夜)・354(119深夜)・372(305深夜)・373(中距離深夜バス)系統
若葉台営業所 - 横浜市旭区若葉台二丁目15-1)
5・23・40・55・65・115・136・350(65深夜)系統
(交):横浜交通開発により運営される系統。(深夜):深夜バス。

浅間町営業所と保土ヶ谷営業所、滝頭営業所は横浜市営バスの主要営業所であり特殊路線と多数の路線を受け持っている。これに対し若葉台営業所と港南営業所は極端に本数の多い郊外の団地輸送路線を受け持っており、担当する系統の数自体は少ない。港北営業所と滝頭営業所にはCNG補填設備が設けられており、CNGガスバスが多数配置されている。

磯子営業所と緑営業所の路線運行は市交通局の外郭団体である横浜交通開発へ委託される予定であり、61系統と117系統は横浜交通開発直営の路線となった。なお、横浜交通開発直営の路線と運行委託される路線では、横浜市営バスの定期券・バスカードなどは全て共通の利用が可能である。


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横浜廃墟ミステリー【1】ガス爆発マンションのミステリー



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ここは心霊スポットとしてもご紹介したことのある、ガス爆発事故のあったマンション。
ここ2-3年廃墟と貸した物件が全国のあちこちでその存在が問題になっているのをご存知でしょうか?
事件や事故があった物件などが無人となり、管理されることなく廃墟と化していく。


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その存在は近隣住民にも大きな影響を与えている、廃墟と化した物件には防犯上の問題点も多く、
廃墟になり数年のものから数十年もの長きにわたり手付かずに放置されている廃墟物件も多くある。
今回はその中の1つである、ガス爆発事故マンションのその後を追ってみた。

【画像は廃墟ちゃんねる、楓さんに了承を頂いたものである。】

ガス爆発事故


ガス爆発マンションといえばかなり有名な廃墟である。
このマンション地元では【幽霊屋敷】などとも呼ばれていた。
心霊スポットとしての由縁はガス爆発があった後、なかなか取り壊しされないこの物件に、
数々の噂話がささやかれたことに始まっているようだ。
このマンションの右手に墓地があり、ガス爆発事故後廃墟かしていく建物の不気味さがあいまって、
心霊物件となったようだが、現在はマンションは取り壊され、
後ろての崖の崩壊防止策取り壊され綺麗に整地しマンションを建設するという。
この物件が廃墟となった理由は、建築基準法違反物件で温存不可能になり放置といったところだそう・・・

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心霊スポットとして名高い他物件にも、この手の真実が多くあるかもしれない・・・

今回は廃墟ちゃんねる、楓さんに協力していただき、廃墟物件のその後としてお届けしました。
関東学院大学

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関東学院大学(かんとうがくいんだいがく、英称:Kanto Gakuin University、
またはMabie Memorial School)は、神奈川県横浜市金沢区に本部を置く日本の私立大学である。
1949年に設置された。大学の略称は関院大。応援歌、学生間では関東。
関西学院大学と区別するため関東学大、関東学園大学と区別するため関学院大と呼称することもある。

関東学院大学は、神奈川県にあるプロテスタントのミッション系大学である。
横浜市金沢区と小田原市に3箇所のキャンパスを設置している。

関東学院大学関係者は「校風は非常に自由であり、
学生の特色としては非常にユニークで個性的な学生が多い」と考えている


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関東学院大学は、1884年にアメリカ北部バプテスト同盟の宣教師であった
アルバート・アーノルド・ベネットにより、横浜山手に設立された横浜バプテスト神学校を源流とする。
1919年に横浜三春台に私立中学関東学院が開校。
戦後の学制改革により現在の関東学院大学となる。


所在地


金沢文庫キャンパス(神奈川県横浜市金沢区)
金沢八景キャンパス(神奈川県横浜市金沢区)
小田原キャンパス(神奈川県小田原市)


校章


関東学院


校章はオリーブの三葉をモチーフとしている。
オリーブの三つ葉は、旧約聖書の中では平和と繁栄を象徴するものとされている
(創世紀8章11節)。そこで関東学院大学ではこの校章に関して
「一つに結ばれた三つの葉は三位一体なる神をしめすとともに、
教育理想である三育、すなわち知育、徳育、体育を表している。」と謳っている。

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神奈川県警察


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神奈川県警察(かながわけんけいさつ)は、神奈川県が設置した警察組織であり、
神奈川県内を管轄区域とし、神奈川県警と略称する。
神奈川県公安委員会の管理を受けるが、給与支払権者は神奈川県知事である。
警察庁関東管区警察局の監督を受ける。本部所在地は横浜市中区海岸通2丁目4。

幕末期:横浜の外国人居留地での役人見廻り。「ドンドコまわり」とも。
1871年(明治4年)10月:日本近代警察の先駆として、
「取締」という名称で後の警察本部が設置。

1999年に入り、警察官によるリンチや覚せい剤使用とその隠蔽工作で、
日本の警察史上前代未聞の本部長引責辞任があった(時の本部長は深山健男)。
又この一連の事件では、隠滅当時の本部長(この際の本部長は渡辺泉郎である。
因みに息子もHPに死体写真を掲載したとして逮捕されている)らが起訴された。
その他不祥事が絶えず、県民からの信頼は大きく失われた。
これら不祥事が沈静化し信頼を取り戻しつつあったが、
2007年12月には神奈川県警警備課長だった警視が霊感商法に関与してるという疑いが浮上した。

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さくらんぼ通信♪防犯と教育-神奈川県警の歴代3本部長処分へ
横浜高速鉄ヨコハマ鉄道模型フェスタ2008 

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鉄道模型レイアウト運転展示、巨大スクリーン映像放映、
車両模型、鉄道グッズ等の展示ならびに販売。
各社展示・販売ブース     
Nゲージレイアウト(走行展示ほか)
HOゲージレイアウト(走行展示ほか)
巨大スクリーン映像放映

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2008年2月1日(金)~3日(日) 
会場 横浜ランドマークホール(横浜 ランドマークプラザ5F)

アクセス


電車
・桜木町駅(JR・市営地下鉄)下車、《動く歩道》利用で徒歩5分。   
・みなとみらい駅(地下鉄みなとみらい線)下車、徒歩3分。
 
車   
桜木町駅前から日本丸方向に入る。    
横浜駅から高島町MM21地区入口より入る。    
首都高速「みなとみらいランプ」より1分。

-横浜観光-

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横浜高校卒業のプロ野球選手【1】


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横浜中学校・高等学校は、神奈川県横浜市金沢区にある私立男子校。


愛甲猛


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横浜高校では左腕エースで4番打者を務め、3年時の1980年に夏の甲子園で優勝。しかし一方では悪童としても鳴らしたといい、高校卒業間際に暴行事件が発覚し部員に土下座するという一幕もあった(後輩達は、この1件が原因で対外試合禁止処分を受けている)。同年ドラフト1位でロッテに入団した。ロッテに指名された際は露骨に嫌な表情を表した。入団時の記者会見で「野球をやめたら吊るしの洋服屋がやりたい」というコメントを残す。

プロでは投手としてスタートするが1勝も上げることができず伸び悩む。3年目の1983年限りで投手としての活動を打ち切り、翌1984年からは野手に転向した。徐々に試合出場回数を重ね、1988年からはレギュラーとして定着し、勝負強い打撃を見せた。同年6月25日から1992年7月11日にかけて記録した535試合連続フルイニング出場は、パ・リーグ記録となっている。

1995年、大スランプに陥りチーム構想を外れ、シーズンオフに中日へ無償トレード。1999年リーグ優勝時には代打の切り札として存在感を示した。

2000年シーズンを最後に現役引退し、タレントに転身。同年の東海豪雨の際、洪水で愛車を流された。2002年失踪騒動が起こり、ワイドショーを中心にマスコミを騒がせたが、無事発見され事なきを得た(本人は3日ほど温泉に行っていただけと明言)。2006年現在は独立して東京都の錦糸町で化粧品・サプリメントの企画会社を経営している。

フラップ(耳当て)が無いヘルメットを被り打席に立った最後の選手である。また最近、週刊誌で自らの薬物使用を告白した。

アーチェリーの第一人者で日体大助教授の山本博は高校の同級生である。応援歌は走れコウタローであった。



石川雄洋


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石川 雄洋(いしかわ たけひろ、1986年7月10日 - )は静岡県駿東郡清水町出身のプロ野球選手。横浜ベイスターズに所属する内野手。背番号は52。横浜高の同級生に涌井秀章(西武)がいる。

その高い身体能力と野球センスでポスト石井として期待されている、将来性の高い選手である。2007年度のオープン戦では、仁志、石井らと同等、あるいはそれ以上の出場機会と成績を残している。


小山良男


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小山 良男 (こやま よしお、1980年7月14日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手である。ポジションは捕手。背番号は37番。

横浜高校では上地雄輔(現俳優)に代わり正捕手となり、松坂大輔(現レッドソックス)と、亜細亜大学では木佐貫洋(現巨人)・永川勝浩(現広島)らとバッテリーを組み、中学・高校・大学とそれぞれ日本一を経験した実績をもつアマチュア優勝請負人。もともとはアマチュア指導者指向で、将来は母校である横浜高校のコーチ・監督という話もあったが、同期である松坂世代の活躍に刺激を受けてプロ入りを表明(プロ経験者でも高校野球の指導者になることができるようになった事情もある)。著書に掲載する写真の撮影のためJR東日本を訪れた落合博満監督の目に留まったことから中日が即戦力捕手として指名し、指名順位はチーム内7番目の8位ながら金額は4番目の8000万円という破格の契約金での入団となった。リードには定評があり、性格も良く後輩から慕われている(実際にファン感謝デーではその人望からチームキャプテンを務めたことも)。将来的な正捕手の座を前田章宏らと争っている。2006年シーズンは、日本シリーズ有資格者にも選ばれた。


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欽ちゃんvs松坂大輔チャリティマッチ


松坂



横浜高校の同級生と55年の松坂世代を中心とした、
「横浜サムライ」と欽ちゃん球団「茨城ゴールデンゴールズ」との試合です。


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日時: 2008年1月19日(土)※雨天決行、荒天中止
試合開始: 13時30分
場所: 横浜スタジアム
チケット販売: 横浜スタジアム TEL:045-661-1251
ローソンチケット TEL:0570-084-003
CNプレイガイド TEL:0570-08-9999
イープラス http://eplus.jp
相鉄ジョイナスプレイガイド TEL:045-319-2456
横浜読売プレイガイド TEL:045-201-9748
(横浜市内のみ電話予約後代引き可)
横浜高島屋6Fチケットショップ ※店頭販売のみ
金港スポーツ TEL:045-662-2727
ヤバネスポーツ TEL:045-831-1138
KMミュージック TEL:045-201-9999



-横浜サムライ-

横浜市中央卸売市場 本場



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神奈川県内では、中央卸売市場が6市場、地方卸売市場が35市場。
中央卸売市場と地方卸売市場では、規模や開設者などが違っても、
全国から品物が集まり多数の取り引き先へ販売されていく基本形態は同じ。
毎日休むことなく、食の中継地点として機能しています。




神奈川の地元野菜



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神奈川県は、古くから野菜や果物が栽培されています。
横浜市内、三浦、藤沢、平塚、厚木、小田原など
神奈川県全域の野菜や果物を取り扱っています。




神奈川県内で栽培されている代表的な野菜



三浦大根


小松菜やほうれん草、大根、キャベツ、きゅうり、トマト、じゃがいも、玉ねぎ、
梅、みかん、すいか等いろいろな野菜や果物が季節ごとに栽培され、市場に出荷されています。

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「地元で生産されたものは地元で消費しよう」という「地産地消」の考え方が普及し、
食に対する安心安全が重要視されるようになってきました。
首都圏有数の消費地と生産地が同一地域にあることから、
この時流のなかで地元野菜が見直され、スーパーや八百屋さんでも
地元野菜を取り扱う店舗が増えてきました。


所在地:横浜市神奈川区山内町1番地


-中央卸売市場参照-



アントニオ猪木


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アントニオ 猪木(アントニオ いのき、英語表記:Antonio-Inoki、本名:猪木 寛至(いのき かんじ)、1943年2月20日 - )は、日本の元プロレスラー、元参議院議員。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。

新日本プロレス創始者で元オーナー。愛称は「アントン」。

今日の日本のプロレス・格闘技の歴史を語る上で(猪木自身は、プロレスと格闘技を区別することを嫌っているが)、力道山、ジャイアント馬場と並んで欠く事の出来ない存在であり、多くの世界のプロレスラー・格闘家に影響を与えている存在である。1995年には北朝鮮で、「スポーツと平和の祭典」を開催している。北朝鮮政府によると、この大会では2日間で38万人の観客を動員した。



高田延彦


高田


高田 延彦(たかだ のぶひこ、本名:高田 伸彦、1962年4月12日 - )は、日本のプロレスラー・元総合格闘家。神奈川県横浜市磯子区出身。

格闘技ジム高田道場主宰者、格闘技イベントPRIDE統括本部長であり、PRIDEの解説者を務める。芸能マネジメントはレプロエンタテインメントが受け持っている。妻はTVタレントの向井亜紀。夫婦共に無類の酒好き。



鈴木みのる


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鈴木 みのる(すずき みのる、本名:鈴木 実、1968年6月17日 - )は、パンクラスMISSIONに所属するプロレスラー。神奈川県横浜市出身。身長178cm、体重87.7kg→102kg。


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紀田順一郎

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紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 - )は、日本の小説家、評論家。本名は佐藤 俊(さとう たかし)。神奈川県横浜市生まれ。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒。

大学時代は推理小説研究会に所属し、機関紙『SRマンスリー』などで批評活動を行う。卒業後は商社勤務のかたわら、『宝石』などを舞台に評論研究を発表。1964年より近代史を中心とする評論活動を専業とするとしながら、漸次出版情報論、国語国字問題に軸足を移行。幻想小説、怪奇小説の翻訳も多く、また評論家中島河太郎と『現代怪奇小説集』『現代怪談集成』を、荒俣宏と『世界幻想文学大系』を、東雅夫と『日本怪奇小説傑作集』を共同監修した。元SRの会会員。1997年岡山県吉備高原に書庫を設け、画家森山知己と紀行文「吉備悠久」を新聞連載。2006年財団法人神奈川文学振興会理事長・神奈川近代文学館館長に推挙される。

1982年連作中編集『幻書辞典』を発表、ミステリー作家としてもデビュー。



岡倉天心


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岡倉 天心(おかくら てんしん、男性、文久2年12月26日(1863年2月14日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、明治期に活躍した美術家、美術史家、美術評論家、美術教育者。本名は覚三(かくぞう)。幼名は角蔵。弟の岡倉由三郎は英語学者。横浜生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、日本美術院の創設者としても著名。

福井藩士だった父親岡倉勘右衛門は貿易商で、幼いころから英語に慣れていた。東京開成所(のちの官立東京開成学校、現東京大学)入所し、政治学・理財学を学ぶ。英語が得意だったことから、同校講師のアーネスト・フェノロサの助手となり、フェノロサの美術品収集を手伝った。また天心は、1882年(明治15年)に専修学校(現在の専修大学)の教官となり、専修学校創立時の繁栄に貢献し学生達を鼓舞した。専修学校での活躍は、文部省専門学務局内記課に勤めていたころである。また、専修学校の師弟関係で浦啓一も天心と出会い、天心の指導により、その一生に決定的な影響を受けたのである。

明治23年(1890)から三年間、東京美術学校でおこなった講義「日本美術史」は、日本(の美術史学)における日本美術史叙述の嚆矢とされる。

東京都台東区に岡倉天心記念公園(旧邸・日本美術院跡)がある。また、ニューヨークで英語で「茶の本」を出版して100年にあたる2006年の10月9日に、天心が心のふるさととしてこよなく愛した福井県の大本山永平寺において、"岡倉天心「茶の本」出版100周年記念座談会"が行われた。



倉田準二



倉田 準二(くらた じゅんじ、1930年1月18日 - )は、日本の映画監督である。神奈川県横浜市の生まれ。
日本大学藝術学部映画学科を1950年に卒業後、東映京都撮影所に入社。伯父の黒川渉三は東映の前身の東横映画の社長であった。製作事務係を経て助監督となり、丸根賛太郎、マキノ雅弘、内田吐夢、松田定次、佐々木康らに師事。1960年、「夜霧の長脇差」で監督デビュー。工藤栄一らとともに東映時代劇の全盛期の監督として活躍する。倉田の演出術は正統派だが、特撮を駆使するなど、かなり工夫を凝らしている。1960年代後半からは邦画の斜陽化によりテレビ映画に進出。『仮面の忍者 赤影』(関西テレビ)では山内鉄也と交代でメインの演出を担当した。

監督作品


映画
■夜霧の長脇差(1961年) ■豪快千両槍(1961年) ■人形佐七捕物帖 恐怖の通り魔(1961年)
■同 闇に笑う鉄仮面(1961年) ■地獄の影法師(1962年) ■江戸忍法帖 七つの影(1963年)
■月影忍法帖 二十一の眼(1963年) ■十兵衛暗殺剣(1964年) ■大忍術映画 ワタリ(1966年)
■まぼろし黒頭巾 闇を飛ぶ影(1967年) ■飛び出す冒険映画 赤影(1969年) ■恐竜・怪鳥の伝説(1977年)


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テレビドラマ
※の作品は準キー局制作。
フジテレビ系列
■仮面の忍者 赤影※ ■大奥(1968年版)※ ■あゝ忠臣蔵※
■大阪城の女※ ■徳川おんな絵巻※ ■江戸巷談 花の日本橋※
■忍法かげろう斬り※ ■眠狂四郎※ ■座頭市物語
■宮本武蔵※ ■お耳役秘帳※ ■銭形平次
■大奥(1983年版)※

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TBS系列
■大岡越前 ■水戸黄門 ■江戸を斬るII
■暗闇仕留人※ ■斬り抜ける※ ■影同心※
■NETテレビ→テレビ朝日系列 ■次郎長三国志 ■遠山の金さん

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横浜こども科学館


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横浜こども科学館は、神奈川県横浜市磯子区洋光台にある科学館。
運営主体は財団法人横浜市青少年育成協会。


B2宇宙工房

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実際に手を動かし、創造するためのワークショップの場です。ハンズオンスタジオでパズルやロープワークを体験したり、工作教室、コンピュータ教室などさまざまな教室が開かれています。また、サイエンスギャラリーには巨大ロボットの組み立て工場があります。


B1休憩室

280人を収容できる休憩室があります

1F特別展示室

特別展示室で企画展やさまざまなイベントが開かれます。


1F宇宙劇場


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直径23m、座席数300。プラネタリウム・ちびっこプラネタリウムを上映し、宇宙時代の新しい想像力、新しい感性をこどもたちに与えます。ドームスクリーンを見上げながら、こどもたちの心は宇宙の無限の果てまで夢を広げます。宇宙の最新情報を得る場でもあります。


2F宇宙研究室


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自然界の放電現象、カミナリやオーロラをいろいろな実験で確かめます。また、わからないこと、知りたいことが調べられるように、顕微鏡や図書室、ビデオライブラリーが用意されています。スペースラボでは、ミニ実験に参加できます。


3F宇宙トレーニング室


ここは未来の宇宙飛行士のトレーニング基地。宇宙飛行士訓練、空間体験、体力・感覚テストのいろいろな体験マシンが用意されています。こどもたちは体を動かし、楽しみながら宇宙飛行士に必要な体力や感覚をみがきます。


4F宇宙発見室


宇宙を探るために利用されるさまざまな電磁波、光・電波・X線などのもつふしぎな性質をクローズアップ。ロボットやラジコン探査機で遊びながら、知らず知らずのうちに、電磁波について理解できることでしょう。

5F宇宙船長室


こどもたちは、宇宙船クルーの基本である宇宙の知識や宇宙航行のテクニックをここで身につけます。まず、キャプテンシアターの、光と音のアニメ宇宙ショウで宇宙の広さを楽しく学び、太陽系、水惑星地球のテーマに沿った展示物で「地球も宇宙のひとつ」であることを確かめます

所在地


横浜市磯子区洋光台


交通アクセス


【電車利用】

JR根岸線洋光台駅下車徒歩3分 
JR根岸線所要時間/横浜駅~洋光台駅:約21分、大船駅~洋光台駅:約10分

京浜急行線・横浜市営地下鉄をご利用の場合

◇京浜急行線・横浜市営地下鉄上大岡駅および横浜市営地下鉄港南中央駅から
 横浜市営バス111系統「洋光台駅」「港南台駅」行き、または江ノ電バス「洋光台駅」行き

◇京浜急行線金沢文庫駅西口から
 京浜急行バス107系統「洋光台駅」行き

◇横浜市営地下鉄上永谷駅から
 横浜市営バス112系統「洋光台駅」行き

いずれも洋光台駅下車徒歩3分

【車利用】  周辺図はこちらを

◇交通
 横浜横須賀道路/港南台ICから約5分
 鎌倉街道/日野中央公園より約5分
 国道16号線/屏風ケ浦より約10分 ※横浜方面から右折禁止


開館時間


午前9時30分から午後5時(夏休みは6時)まで
※入館は閉館1時間前まで


-横浜こども科学館-



横浜人形の家 瀬戸ノベルティ展

日本の産業を支えた時期の人形


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愛知県瀬戸市で昭和期に作られていた輸出用の磁器製人形「瀬戸ノベルティ」の世界を展覧いたします。西洋のデザインと日本の磁器の製法が融合して生み出された優美な人形約30点を所蔵品からご紹介します。【料金】大人500円 こども150円。


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会場:横浜人形の家 2階 常設展示室トピックコーナー
~2008/03/31(月)
10:00~18:30(入館は18:00まで)※休館日1月21日(月)・22日(火)・23月(水)・24日(木)・2月18日(月)・3月17日(月)


-横浜観光-



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「第1回日産スタジアム駅伝大会」参加者募集



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2008年は、日産スタジアム(旧横浜国際総合競技場)のオープン(1998年3月1日)から記念すべき10周年目となることから、市民のための大会、誰でも走れ、走ることによって新しい出会いと感動がある大会を目指し開催します。


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会場:日産フィールド小机を中心とした新横浜公園内園路
2008/01/25(金)

-横浜観光-

中華街の「関羽さま」

関帝廟


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中華街。電柱までが赤く染められ、
ここは衣食住のすみずみまでが中国の生活そのもの。

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中華街大通りから1本はずれて、横浜中華学院の横にあるのが関帝廟。
中華街の鎮守として、三国時代の英傑・関羽がまつられている。

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1986年に焼失したが、現在は再建され、その姿は中国の物よりも立派だといわれるほど。
 大勢の人でいつもにぎわうこの街で暮らす人々の、小さな文化に触れられる。

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住所:中区山下町中華街内

アクセス:みなとみらい線「元町中華街駅」より徒歩5分、
JR根岸線「石川町駅」より徒歩5分


-横浜歴史-
関東のお伊勢さんは横浜の総鎮守

伊勢山皇大神宮


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桜木町から、紅葉より桜が有名な紅葉坂を上り、左に曲がると、
伊勢山野皇大神宮の参道に出る。
 石段を上がって、大鳥居をくぐると、正面に鎮座する神明造りの本殿。
天照大神と祭神とする横浜総鎮守 は、
「関東のお伊勢さん」の名で親しまれている。
当初、岩亀横町のとりわけ緑の多いところにあった社を明治3(1870)年に
今の伊勢山に奉遷した

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社は何度か造営改築を繰り返し、そのたびに立派になるが、
関東大震災で焼失、空襲で戦火にあい、現在は3代目。参拝客は年間150万人。

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境内の絵馬には多くの人の祈願が奉納されているが、圧倒的に多いのが合格祈願。
 眺望のきくこの辺りは、桜の名所としても有名である

住所:西区宮崎町

アクセス:桜木町駅から徒歩10分


-横浜市歴史-







横浜市南区の七つの丘




三春台[1]三春台第二公園


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斜面に沿って段々に作られているこの公園は、平成元年に公開されました。
左手にはランドマークタワーやベイブリッジなどが、右手には南区が一望でき、
日の出や夜景を眺めるのにも最適の場所です。


清水ヶ丘[2]清水ヶ丘公園


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テニスコートや野球場、プールなどがある南区唯一の運動公園です。
見晴らしが良く、ピクニックにも最適です。
見晴らしの丘の上には大きな木が一本あり、
以前テレビドラマのロケにも使われたことがあります。


永田・六ッ川の丘[3]横浜で活動を続けた良斎


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井上良斎は明治21年東京の浅草生まれ。浅草に窯を開き輸出用陶磁器を製造していた初代・2代に続く3代目です。17歳で家業の陶磁器製造所を継ぐとともに、板谷波山(いたやはざん。昭和28年、陶芸家として日本で初めて文化勲章を受章)に指導を受けていました。
 大正3年には浅草から輸出に便利な横浜(現在の横浜駅東口あたり)に移りましたが、大正12年の関東大震災で窯は崩壊。そのため大正13年に、現在の永田東一丁目に登り窯を築き、昭和46年に82歳で亡くなるまで、この地で約半世紀にも渡り陶芸活動を続けてきました。
 井上良斎は、昭和28年に第1回横浜文化賞、34年には日本芸術院賞を受賞。41年には日本芸術院会員となり、日本を代表する陶芸家としての地位を築きました。井上良斎の主な作品は、現在、横浜美術館や神奈川県立歴史博物館などに所蔵されています。


弘明寺・別所の丘[4]弘明寺公園


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弘明寺公園は、以前は弘明寺の寺林であった緑豊かな公園で、
新緑や桜、紅葉など四季を通じて自然に親しめます。
隣接の中里旅館敷地内にはまとまった竹林があります。
敷地内には旅館利用者しか立ち入れませんが、公園内からも見ることができます。

【弘明寺公園展望台とその眺め】
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蒔田の丘[5]蒔田の森公園


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自宅の庭だった場所を区民から市が寄附を受けて、平成12年4月に整備しました。
一帯は、足利氏の一族である吉良氏がかつて居を構えた蒔田城の馬場があったといわれ、
「馬場の森(ばんばのもり)」と呼ばれていました。
区内に残された貴重な緑地とわき水を生かして、くつろげる公園となっています。


西森稲荷


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明治時代に蒔田町にあった2つの神社を杉山神社(宿町)に合祀した際、
神霊をこの地に残すようにとのお告げにそって、大正9年に設置されたものです。
苔むした石段や、大黒天やキツネの石像が多く、冷気に包まれ、
しっとりとした趣があります。



堀の内の丘[6]共進橋


共進中学校の校門の門柱は、旧日枝橋の親柱でしたが、
高速3号線の建設と中村橋の護岸工事の際に移築されました。
また共進中脇の共進橋もヨーロッパ風のデザインが取り入れられた親柱でしたが、
同じく工事に伴い中区の都橋(野毛町)に移築されています。



平楽の丘[7]富士山も見える稲荷坂


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昔、中村稲荷が坂の途中にあった(現在は坂下)ことからこう呼ばれています。
景色が良く、晴れた日には富士山も見ることができます。
坂の途中に小広場がありベンチで一休みできます。周辺にはユニークな名の坂が多くありますが、その主なものを紹介します。


-七つの丘-
港の見える丘

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山下公園からポーリン橋、人形の家を経てフランス橋を渡ると、港の見える丘公園


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このあたりは、開港当時外国人居留地で、丘の上にイギリス軍、下にフランス軍が駐屯していた場所です。

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接収解除後、地元の要望により公園として用地の取得が行われ、昭和36年から整備に入り、昭和37年5月に平野愛子さんの歌う「港が見える丘」のメロディーの中、公園の生みの親ともいうべき半井市長のテープカットにより風致公園として開園しました。

以来、フランス領事館跡地のフランス山地域、イギリスの総領事官邸であったイギリス館、昭和53年に大仏次郎記念館、昭和59年に近代文学館など文化の香り高い施設が次々とオープン。

また同年に人形の家とフランス山を結ぶフランス橋が開通、昭和61年10月には大仏次郎記念館と近代文学館を結ぶ霧笛橋が両館と同じ浦辺鎮太郎氏の設計により開通しています。

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港の見える丘公園は、オフコースの歌の歌詞にも使われているほど、横浜を代表する公園です。この場所からの夜景は、私も子供の頃から大好きで、公園から夜景を見ながら日々の忙しさやストレスから解消される時間つくりを良くしています。

恋人同士でこの夜景を是非是非見て欲しい♪

-横浜歴史-




野毛山節

野毛山節は、幕末から明治維新にかけての流行歌で、「野毛の山から」見た、異人館や外国人練兵場など、開港当時の横浜の情景をやゆ的に歌ったものとされています。歌詞のはやし言葉からノーエ節、サイサイ節とも言われています。作詞者・作曲者はわかっていません。


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野毛山節(ノーエ節)は、「富士の白雪ァノーエ」の歌詞で知られる静岡県三島市の三島農兵節など、全国各地にそれぞれの歌詞があることでも知られています。野毛山節(ノーエ節)の起源については、諸説ありますが、横浜で歌われた野毛山節がノーエ節のオリジナルで、全国各地に伝わったという説もあります。


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-横浜歴史-




お三の宮日枝神社


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横浜市の中心である、伊勢佐木町~お三の宮所在地までは、釣鐘の形をした入海でしたが、
江戸幕府などの御用達として石材木材商を営んでいた、吉田勘兵衛が、この入海を埋め立て新田を築きました。


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[吉田新田]そこで勘兵衛は、寛文13(1673)年新田住民の安寧幸福や五穀豊穣を祈り、
江戸の山王社(今の旧官幣大社日枝神社)より勧請し、創建したのです。
日枝神社は、古くは山王社・山王大権現・山王宮と称せられましたが、今では「お三の宮」「お三さま」と広く御崇敬を戴いています。

【お三の人柱伝説】を付会して「お三の宮」と書かれ、呼ばれるにいたりました。



お三の宮秋祭り



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1年毎に本祭りと陰祭りが行われます。本祭りの見ものは、昔は黒牛が引いていた勇壮な大神輿。

場 所 横浜市南区山王町5-32
交 通 横浜市営地下鉄「吉野町」駅下車 京浜急行「南太田」駅下車徒歩3分


-横浜のお祭り-



兼好法師も学んだ学問の故郷


《横浜市金沢文庫》


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鎌倉時代の僧侶や武人が足しげく通った当時の図書館、といったほうがわかりやすい。


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北条実時が晩年の建治元(1275)年ごろ、鎌倉の本邸から金沢の別邸に移建した文庫。
後、火災で多くの書物を焼失した実時は、ここからトンネルを通じた丘の向こう側に文庫を再建した。
実時の向学心は、その後、4代にわたって引き継がれ、一族をはじめ各地の人々に利用され、文化の貢献に役立ってきた。
 

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「徒然草」で知られる吉田兼好もその一人で、直筆の手紙も残っている。
 北条氏が滅びると、文庫は衰退の道をたどるが、蔵書の一部は称名寺により保管され、
現在に伝えられている。


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-横浜歴史-

BankART市場 with 濱の市


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BankART Studio NYK 河岸において、横浜近海の魚介類、
近郊の野菜等を集めて様々な店が並ぶ朝市。
カラフルなテントで組まれた店舗がオープンし、
食材以外にも食の関連グッズが集まるにぎなかな朝市です。

会場:BankART

2008/01/14(月)10:00~15:00


-横浜観光-
横浜歴史的建造物【2】


横浜海岸教会


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【建設年代: 昭和8(1933)年 】
我が国最古のプロテスタント教会につながる由緒ある教会堂。
明治8(1875)年鋳造の鐘を今も開港広場に鳴り響かせている。
鐘塔の屋根の庇と塔の庇が重畳するなど、個性的な造形がこの建物の魅力。



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住所: 中区日本大通8
アクセス: JR根岸線/市営地下鉄「関内駅」より徒歩11分





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-横浜歴史-







横浜歴史的建造物【1】


カトリック山手教会聖堂


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【建築年代 昭和8(1933)年 】
設計者JJ.スワガーは、チェコ出身でA.レーモンドと共に活動をしていた建築家。
西欧中世を思い起こさせるネオ・ゴシック風の外観が特徴的である。
なかでもひときわ高い尖塔は、山手を代表するランドマークとして親しまれている。




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住所: 中区山手町44
アクセス: JR根岸線「石川町駅」より徒歩6分または「桜木町駅」より
市バス11・21系統「山手町」下車


-横浜歴史-




横浜アリーナ


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横浜アリーナ(よこはまアリーナ、Yokohama Arena)は、1989年4月1日に開業した多目的イベントホール。及び、それを管理・運営する株式会社横浜アリーナ(1986年設立)。

キリンホールディングス株式会社、横浜市、西武鉄道株式会社からの出資の第三セクターとして開業し、面積8,000m²、最大収容人数は1万7,000人で、コンサートやスポーツ、企業式典など、あらゆる用途に利用されている。

略称として「横アリ」という言い方があるが、ほとんどの確率で地元住民は単に「アリーナ」あるいは略さずに「横浜アリーナ」と言うため、この「横アリ」という略称は地元住民に通じない場合が多い。


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公演・イベント実績


これまで多く利用されているのが、Mr.Children、ゆず、松任谷由実、サザンオールスターズ、米米CLUB、布袋寅泰、浜崎あゆみ、ジャニーズ事務所・ハロー!プロジェクトのアイドルのコンサートなどである。杮落としは松任谷由実の公演(KIRIN & MITSUBISHI MIRAGE PRESENTS YUMI MATSUTOYA Delight Slight Light KISS TOUR)であった。当初は美空ひばりのコンサートが横浜アリーナ杮落とし公演のはずだったが、本人の病状悪化(後に死去)で中止されたため、松任谷由実が杮落としアーティストとなった。

また、海外アーティストのコンサートとしても数多く利用されており、欧米のスーパースターが大規模コンサートを行った。

1996年からスタートした「小学生クラス対抗30人31脚全国大会」の聖地としても知られている。毎年、11月になるとここが小学生達の熱き戦いの場に変わる。ただし、1997年は東京の国立代々木競技場、1998年と2000年は千葉の幕張メッセで、2001年は埼玉のさいたまスーパーアリーナで開催されたが、それ以外の年は全て横浜アリーナで開催されている(然し、この横浜開催の集中開催に遣り過ぎと言う声が!)。

オープンした1989年より、サザンオールスターズの年末カウントダウンライブの恒例会場として使用されて続けている。実施されない年もあったものの、12月31日大晦日は常に、サザンの為に所属事務所のアミューズが会場を確保しているとも言われる(1992年・1998年、2001年、2006年を除き(それぞれ各年の大晦日から翌年の1月1日まで。桑田佳祐ソロを含む)、サザンのカウントダウンライブが行われなかった1995年にはアクト・アゲインスト・エイズのイベント(桑田も出演)を、2003年には同じアミューズ所属の福山雅治がカウントダウンライブを行った)。

成人の日には横浜市の成人式が開催される。その様子は、日本最大の成人式として毎年ローカル局であるtvkで放送されている。

アリーナ本体以外にも、施設のエントランス周辺を使ったフリーマーケットも開催されている。

また、かつて内装工事会社社員として横浜アリーナの建設に携わった第70代WBA世界ミドル級王者竹原慎二の初防衛戦(1996年)を皮切りにプロボクシングの世界タイトルマッチの会場として頻繁に使われるようになる。ほかの格闘技では、K1 GRAND MAXの試合も行われている。

-フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』-
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