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横浜中華街の歴史と文化

中華街は外国人居留地が発展した街で、
安政4年にペリー提督が浦賀に来訪したときに、
徳川幕府が横浜を貿易港として定めたのが始まりとされています。
横浜は欧米人の居留地として、商取引を行って発展しました。
当初の中国人は1,000人ほどでしたが、
年を追うごとに貿易も盛んになって、
それと共に中国人の数も増え、不慣れな日本食や洋食ではなく、
中国料理を食べられるように考え、外商に勤める料理人が独立し、
主として中国人を対象に商売を行ってきました。
開港当時の中華街は南門シルクロード一帯にあって、
中華料理店は2~3軒しかありませんでした。
関東大震災の後に現在の位置に移り、
長さ約150mほどの通りの両側に店が作られ、
この大通りを中華街と呼ぶようになりました。
しかし、本格的な中華料理店は十数軒しかなく、
少数の中華そば店があったようです。
このような状態が第二次大戦まで続き、
戦後いち早く復興に立ち上がって街づくりに専念し、
現在の街として栄えています。


震災復興


震災で大打撃をうけた中華街でしたが、徐々に人々が戻りはじめ、
料理店、雑貨店、理髪店が立ち並んでいきました。
また震災で学校が全壊したため、新たに中華公立学校が設立され、
広東語での授業が始まりました。
そして昭和の初めには華僑人口は3000人あまりに回復したのです。
 
しかし平和な時代は続きませんでした。
次第に日本と中国との関係が悪化し、
昭和12(1937)年7月、日中戦争が勃発しました。
この戦争は華僑にとって祖国と居住国が戦火を交えることであり、
苦渋に満ちた立場に立たされました。
8月に東京在住中国人の帰国がはじまる一方で、横浜に生まれ育ち、
この地に生活の基盤をおく多くの華僑はここにとどまりました。

やがて駐日中国大使・横浜総領事など外交団が撤退し、
横浜に暮らす華僑の生活は厳しさを増していきました。
華僑貿易商は輸入制限や中国での日本製品ボイコットにより大打撃を
受けました。また料理店や理髪店でも反中国感情の高まりや
華僑の帰国によって客足がとだえていきました。
そうした中でも華僑は山下町の戦死者追悼会に代表を送るなど、
地元との関係を保つ努力をつづけ、戦時下の日々を耐えたのです


       -横浜チャイナタウンより-


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