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松任谷由実



アーティスト :ミュージシャン

まつとうや・ゆみ(1954-)アーティスト、シンガー・ソングライター。ニューミュージックの女王として中島みゆきと並び称された、日本のポップ・シーンの女王。ニックネームはYUMING、ユーミン。旧姓は荒井由実。他のアーティストへ曲提供するときには呉田軽穂。

1954年1月19日に東京都八王子市の裕福な呉服商の娘として生まれる。1972年、多摩美術大学在学中、シングル「返事はいらない」でデビュー。1976年、松任谷正隆氏と結婚。1978年の「紅雀」から現在のアーティスト名・松任谷由実を名乗る。松任谷由実の代表作に、「守ってあげたい」「リフレインが叫んでる」「Hello, my friend」「春よ、来い」など。他、多数のヒット曲・ヒットアルバムがある。

歌のうまさには疑問を持つ声がある一方で、おそらく自分の声質にあった楽曲制作能力があるという評価があるが、結構当を得ていると思われる。ユーミンのカヴァーに定評がある山本潤子も声質が似ている。

2005年のNHK紅白歌合戦で初出場。


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桑田佳祐


サザンオールスターズのリード・オフ・マンとして知られている。『いとしのエリー』、『真夏の果実』、『TSUNAMI』などヒット曲を数多く作り、歌う。その独特なハスキーボイスは稀有で、一度聞いたら忘れられない不思議な魅力を持つ。バラードでの優しい歌声はやはり美声と言える。灰汁の強い嗄れ声も、泣かせる美声もどちらも出せる稀代のボーカリストである。作詞では愛、セックス、世相を風刺的に表現し、時にエロティックであり、時にユーモラスであり、時に切なく泣かせ、時にシリアス。楽曲それぞれで様々なタイプの歌詞を書く。ソロでの音楽活動も精力的で、メジャーデビュー以来一貫して邦楽 (J-POP)の第一線を爆走し続ける。音楽雑誌『ロッキング・オン』からは、ポップスの神なる称号を授与されている。

神奈川県立茅ヶ崎高等学校の受験に失敗し鎌倉学園高校に進学。在学中は英語のみ成績が良く、ほとんど受験勉強をしなかったにもかかわらず、明治学院大学と青山学院大学に合格。

入学した青山学院大学経営学部第一部在学中よりバンド活動を盛んに行い、「温泉あんまももひきバンド」「脳卒中」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」など多くのバンドを結成しては潰しを繰り返し、最後に結成したサザンオールスターズが現在まで続く。「サザンオールスターズ」というバンド名は友人がつけたもの。デビュー当時は長門裕之に顔が似ていることを売りにしていた。また物真似がうまい(三遊亭圓生、稲川淳二、大橋巨泉など)。ちなみに大学は学費滞納により、4年在学したのち1978年に除籍になっているという(桑田談)。

プロレスファンであり、大のアントニオ猪木ファン。以前『旅姿六人衆』 (アルバム『綺麗』収録)が、「ワールドプロレスリング」のスペシャル版のエンディングテーマ曲に使用されたこともあった。また、シングル『太陽は罪な奴』のPVにはアントニオ猪木が出演した。その他にもライブではスタン・ハンセンの決め台詞である「ウィー!」、猪木の決め台詞である「1、2、3、ダー!」を叫ぶほどである。1991年12月31日の年越しライブでは当時新日本プロレス所属の馳浩が曲の最中にパフォーマンスを行い、またTBSテレビの生中継が入っていたにもかかわらず、当時テレビ朝日アナウンサーであり「ワールド・プロレスリング」の実況アナであった辻よしなり(当時義就)と同解説者である山本小鉄も出演した。

また、1993年頃からサーフィンをやり始め、現在も続けている。

サザンが実力派バンドとして認知されてからも、本人は一貫して下ネタ好きの三枚目なキャラクターを通しており、ある意味ミュージシャンらしくない気取らない性格がファンから愛されている。特にライブでの客席に向けての「乳首見せろ!」「パンツ脱げ!」などのセクハラ発言や、マイクを股間にはさむなどのパフォーマンスは、日本を代表するミュージシャンという自らの名声を笑い飛ばすかのような痛快さに満ちている。特に自身のラジオ番組桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド~やさしい夜遊び~では毎週のごとく下ネタを連発している。

また、その風貌とは裏腹に、家では愛妻家で良きマイホームパパとしても有名。 子供の参観日にはギターを抱えて演奏したこともある。

妻は大学の音楽サークルの後輩で、サザンのメンバー (キーボード)の原由子。ブルース好きということで、意気統合し、最終的に結婚する。結婚までの経緯は、原由子の著書「娘心にブルースを」に詳しい。また、原との間にこれまで2男をもうける。

レコーディングなどでは、ギター、ベース、ドラムス、キーボードなどを演奏したりするマルチプレイヤーであり、ソロ名義の楽曲には桑田1人ですべての楽器を演奏したものもある(『素敵な未来を見てほしい』)。


1956年
神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。血液型はA型。
1977年
サザンオールスターズとして、アマチュアバンドのコンテスト「ヤマハEastWest'77」に出場。ベストボーカル賞を受賞。この時に決勝で対戦したのは、シャネルズの鈴木雅之だった。
1978年
6月25日、ビクター音楽産業よりサザンオールスターズとして『勝手にシンドバッド』でメジャーデビュー。
1979年
「オールナイトニッポン」(ニッポン放送などNRN全国ネット)木曜1部を担当。
1980年
スペクトラムのギタリスト・西慎司のソロアルバム『NISHI』をプロデュース。
1981年
生理用品アンネナプキンのCMに出演。
タモリのシングル曲『狂い咲きフライデイ・ナイト』を楽曲提供。
shibuya eggmanにて、嘉門雄三という変名を用いてライブを行う。
自身がプロデュースした原由子初のソロシングル『I LOVE YOUはひとりごと』が卑猥な歌詞のため放送禁止曲に。ビクタービル屋上にて抗議のゲリラライブを行う。しかし、近所から抗議が殺到し途中で中止になったのは有名な話。
1982年
原由子と結婚。
小林克也率いる「ザ・ナンバーワン・バンド」の1stアルバム『もも』にて曲を提供。また『六本木のベンちゃん』ではボーカルも担当。
中村雅俊に『恋人も濡れる街角』を提供。
12月31日、NHK紅白歌合戦での三波春夫パフォーマンスが物議を醸す。『チャコの海岸物語』でサザンとして2度目の紅白出場を果たした際のものであり、当時の「紅白=厳粛な雰囲気」という等式を打ち破るきっかけとなった。この時の間奏での桑田の発言は以下のとおり。
「国民の皆様、ありがとうございます。私たち放送禁止の覚悟でございますが、こうしていけしゃあしゃあとNHKに出演させて頂いております。とにかく、受信料は払いましょう! 裏番組はビデオで見ましょう!!」
1983年
親交ある明石家さんまが「オレたちひょうきん族」で演ずるアミダばばあのために、『アミダばばあの唄』を提供する。
高田みづえがカバーした『そんなヒロシに騙されて』が第25回日本レコード大賞・金賞を受賞し、この他サザンの楽曲も含め作曲賞を受賞。
1984年
「オールナイトニッポン」に復帰。火曜1部を担当する。
1985年
ラッツ&スターのメンバー全員の合同結婚式において媒酌人を務める。このときリーダー・鈴木雅之の父との会話が、後1996年のアルバム(サザン名義)『Young Love』に収録される『心を込めて花束を』を生むきっかけとなる。
1986年
1年限定のソロプロジェクトKUWATA BAND結成。
クリスマス・イヴの夜の生放送番組「メリー・クリスマス・ショー」 (日本テレビ系。前年行われたライヴエイドのパロディと言われる)をプロデュース、同番組で松任谷由実との共作『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)』を出演者一同と披露。この曲は一切商品化されておらずラジオや有線放送でのみ聴くことが可能である。
1987年
10月6日、ソロデビューシングル『悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)』発売。以降ソロでの活動が続く。
ダリル・ホール&ジョン・オーツと「SHE'S A BIG TEASER」(シングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』収録)・『REALOVE』(ホール&オーツのアルバム『Ooh Yeah!』収録)を共同レコーディング。
前年に続き「メリー・クリスマス・ショー」出演。
1988年
3月16日、2ndシングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』発売。
4月21日、河内淳一のアルバム『One Heart』に収録されている『Day After』と『恋に落ちた日 ~ANYDAY YOU LOVE ME~』にコーラスで参加。
6月25日、『みんなのうた』で、サザンでの活動を再開させる。
7月9日、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』発売。
8月、RCサクセションのアルバム『COVERS』に参加。この時には桑竹居助なる変名でクレジットされている。この名義は1984年にサザンのファンクラブ会報『代官山通信』の署名でも使用されていた。
10月、山下達郎のアルバム『僕の中の少年』収録の『蒼氓』に原由子と共にコーラスで参加。
12月31日、『Keisuke Kuwata』で第30回日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞。
1990年
映画『稲村ジェーン』の監督を務める (以後の映画製作は無し)。
1991年
第32回日本レコード大賞のポップス・ロック部門において、ロック・ゴールド・ディスク賞、最優秀ロック・ボーカル賞、作曲賞を受賞する。
6月27日、企画アルバム『フロム イエスタデイ』発売。
新宿のライブハウス「日清パワーステーション」で、洋楽ロックのスタンダードナンバーをアンプラグドで演奏する「アコースティック・レボリューション」を行う。メンバーは小倉博和、小林武史、キース、など多彩な顔ぶれ。
9月26日、SUPER CHIMPANZEE名義で『クリといつまでも』発売。
1993年
10月6日、3rdシングル『真夜中のダンディー』を発売し、ソロ活動を再開。
12月1日、世界エイズデーであるこの日、多数のアーティストを集めた「AAA~アクト・アゲインスト・エイズ」に参加。以後毎年参加(1995年からは、ソロアクト版も併せて開催)。
1994年
サザンの活動を一時休止。
8月24日、4thシングル『月』発売。後年香港で地元の歌手によるカバー曲が発売され大ヒットした。
9月23日、2ndアルバム『孤独の太陽』発売。収録曲『すべての歌に懺悔しな!!』が、矢沢永吉と長渕剛を揶揄しているとされ問題となり、桑田が「あれは自分を含めた芸能ロックミュージシャンを歌ったもの」と釈明し、2人に対して謝罪。矢沢は「全く気にしてない。それより桑田君の方は大丈夫か?」と大人の対応をするが、長渕は『views』誌上にて「俺は桑田佳祐を許さない!」などとコメント。ファン、マスコミを巻き込んでの一大論争に発展。その直後、長渕が大麻の不法所持で逮捕され、なし崩し的に沈静化する。詳しくはすべての歌に懺悔しな!!による論争を参照のこと。
10月31日、5thシングル『祭りのあと』発売。
ソロライブツアー「さのさのさ」公演期間中の10月28日に、母校である青山学院大学において学園祭ライブを行う。
12月31日、『月』で第36回日本レコード大賞・優秀賞を受賞、『孤独の太陽』でアルバム大賞・ベストアルバム賞受賞。
1995年
1月23日、共に編曲などで交流のあった小林武史との縁により、Mr.Childrenと桑田佳祐&Mr.Children名義でチャリティーシングル『奇跡の地球(ほし)』をリリース。活動や作品の概要については奇跡の地球も参照のこと。
4月、「桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド~やさしい夜遊び~」(TOKYO FMなどJFN全国ネット)スタート。自身がパーソナリティーを務め、現在も続く長寿番組になっている。
1996年
4月、青山学院大学の後輩でもある斎藤誠(後にサザンのサポートギタリストとしても活躍する)のシングル『今 僕を泣かせて』にバックボーカルとスライドギターのソロでゲスト参加。
1997年
「アクト・アゲインスト・エイズ'97 ~歌謡サスペンス劇場~」にて長らく放送禁止曲とされてきた岡林信康の『チューリップのアップリケ』を熱唱。その模様は深夜とはいえテレビで放映された。
2000年
8月、故郷茅ヶ崎市でサザンとして凱旋コンサートを行い話題を呼ぶ。
10月、「桑田佳祐の音楽寅さん~MUSIC TIGER~」(フジテレビ系)放送開始。番組の中で長らく放送禁止曲とされてきた『ヨイトマケの唄』を熱唄。
12月31日、サザンの大ヒット曲『TSUNAMI』で第42回日本レコード大賞を受賞。「やっと、ひばりさんの背中が見えました」とコメント。
2001年
サザンの活動を三度休止。
7月4日、6thシングル『波乗りジョニー』発売。この曲のスポットCMにおいて、EE JUMPの『おっととっと夏だぜ!!』との度肝を抜くコラボレーションが展開された。なお、その後に発表されたEE JUMPのシングル『イキナリズム!』には「桑田さんどもありがと~」という歌詞が登場している。
10月24日、7thシングル『白い恋人達』発売。桑田ソロ名義のシングル最高売上を記録(オリコン調べ)。
12月6日、やまだひさしのラジアンリミテッドの企画でGLAYと競演。この模様は「桑田佳祐 meets GLAY スーパーFM」としてOAされた。最後はジョン・レノンの『Happy Xmas (War Is Over)』をGLAY、番組スタッフを交えて全員でセッション。
12月24日、クリスマスイブの夜に札幌市の月寒グリーンドームにて記念ライブを行う。当初は札幌ドームを借りるつもりでいたが計画したときには既に埋まっており、ライブの公演中、ジョークだと思われるがMCで会場について愚痴をこぼしていた。
2002年
『波乗りジョニー』『白い恋人達』の2作で、第16回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。
6月26日、8thシングル『東京』発売。ファンクラブ誌上にて「石原慎太郎に物申すみたいな気持ちで作った」とコメント。
8月10日、茨城県ひたちなか市で行なわれた邦楽ロックの音楽祭・ROCK IN JAPAN FESTIVALに参戦。2日目のトリを務める。
9月26日、3rdアルバム『ROCK AND ROLL HERO』発売。
コンサートツアー「けいすけさん、色々と大変ねぇ。」スタート。ソロで初めて5大ドームツアーを開催 (ナゴヤドーム、福岡ドーム、東京ドーム、大阪ドーム、札幌ドーム)。ソロ・アーティストの5大ドームツアーはこれが史上初である。
11月27日、初のソロベストアルバム『TOP OF THE POPS』発売。ソロ名義で1980年代、1990年代、2000年代と3世代に渡ってオリコンアルバムチャート1位を達成。3世代以上での1位は男性ソロでは長渕剛<1970年代を含め4世代>、井上陽水<3世代>に次ぐ3人目の快挙。
2003年
『東京』で第17回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞、『ROCK AND ROLL HERO』と『TOP OF THE POPS』の2作がロック & ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
2月、『東京』が「SPACE SHOWER Music Video Awards 03」BEST VIDEO OF THE YEARを受賞。
7月23日、「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~」をリリースしサザンでの活動を再開。復帰後はバンドとしての活動を継続中。
2006年
7月17日、ゆかりのある小林武史、Mr.Childrenの桜井和寿らが主催するap bank fes'06にソロとして出演。最終日となるこの日は、桜井と1995年に発売された『奇跡の地球』を11年ぶりにセッションし、話題となった。ソロでの出演であったが、サザン名義での楽曲『いとしのエリー』『真夏の果実』も披露した。
8月26・27日の2日間、桑田がサザンを中心としてアミューズ所属のアーティストに呼びかけ、初の自身主催となる野外フェスティバル「THE 夢人島 Fes.2006」を開催。アミューズ外からもGLAY、Mr.Children、Dragon Ash、更には加山雄三など桑田とゆかりのあるアーティストがスペシャルゲストとして出演。





★★☆★★☆★★☆★★☆Ⅹ’Masまで35日★★☆★★☆★★☆


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