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横浜中華街【1】


横浜中華街今昔


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幕末、1859年に横浜の港が開かれた頃、ここ中華街のあたりは横浜新田と呼ばれていました。現在の南門シルクロード、開港道、長安道はそのあぜ道の名残と言われています。港町横浜には世界各地の人々が訪れ、中国の広東・上海などからも大勢の人がやってきました。広東は華僑の故郷と言われ、古くから海外に人々を送り出した土地です。横浜華僑の多くは広東の出身で、今も中華街に広東料理が多いのはこのためです。 開港当時西洋人は日本語がわからず、日本人は西洋の言葉や商売についてほとんど知識がありませんでした。
一方、香港・広東・上海の西洋商館で働いていた中国人は西洋の言葉が話せ、また日本とは漢字で筆談ができました。そのため中国人が西洋人と日本人のあいだに立ち、生糸や茶の貿易で仲介者の役割を果たしました。

また、華僑貿易商は北海道産の鮑、昆布などの海産物を中華料理の材料として香港に輸出したり、砂糖を台湾から輸入したり、貿易港横浜の賑わいを支えました。

華僑が営んだのは貿易や料理店だけではありません。洋館の建築、ペンキ塗装、西洋家具やピアノの製造、欧文印刷、洋裁など、当時の先端分野で華僑は活躍しました。中華街には早くから日本人も暮らしており、相互の行き来の中で新しい技術が日本人に伝えられていったのです。 また横浜には関羽をまつる関帝廟や祖先の霊を慰める地蔵王廟(中国人墓地)が建てられ、清明節・関帝誕・春節などの四季折々の祭事が営まれてきました。 街を練り歩く壮麗な獅子舞や龍舞は横浜名物の一つでもあります。しかし、中華街の歴史は平坦ではありません。関東大震災で街は崩壊し多数の犠牲者を出しました。また日本と中国の戦争の時代もありました。それでもこの街で華僑は生き続けました。戦後の混乱期、人々が温かい食べ物を求めてやってきたのはここ中華街でした。 中華街は華僑の街であるとともに横浜のエネルギーの源でもあります。横浜中華街が歴史と文化を大切にしつつ、誰にでも親しまれる魅力と味のある街であり続けてほしいと願っています。

-チャイナタウン-

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