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利重剛


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利重 剛(りじゅう ごう、本名;笹平 剛、1962年7月31日 - )は日本の俳優、映画監督。クォーター・トーン所属。身長178cm、血液型はB型。神奈川県横浜市鶴見区出身。成蹊高等学校卒業、成蹊大学中退。母は小山内美江子。妻は元プリンセス・プリンセスの今野登茂子。元妻は鷺沢萠。
映画監督として1996年には『BeRLiN』で日本映画監督協会新人賞を受賞。更に2001年の『クロエ』ではベルリン映画祭に出品され好評を得る。また、ジャックスカードのCM製作でも有名である。
『父母の誤算』でドラマデビュー。その他に『金田一少年の事件簿』、『やんちゃくれ』などへの出演で知名度を広げる。1981年には『近頃なぜかチャールストン』に主演した(共同脚本及び助監督も務めた)。
因みに芸名は自身の祖父の名である「利重(とししげ)」からとった。彼自身祖父が大好きだったそうである。


【おもな製作作品】
映画
ZAZIE(ザジ)(1989年)
エレファント・ソング(1994年)
BeRLiN(ベルリン)(1995年)
クロエ(2001年)

映画(脚本協力)
ピノキオ√964(1991年)

CM(監督)
東京海上
ジャックスカード
日本生命


望月三起也


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望月三起也(もちづき みきや、1938年12月16日 - )は、神奈川県横浜市出身の漫画家。別名に、牧 英三郎、M・ハスラー。
主にアクション物を得意にしているが、どの作品にもユーモラスな味付けを忘れない。
吉田竜夫のアシスタントを経て、1960年に『特ダネを追え』(講談社「少年クラブ」お正月臨時増刊)でデビュー。
1962年に吉田竜夫が弟の吉田健二、九里一平とタツノコプロダクションを創設した時、タツノコが当時は漫画専門のプロダクションだったこともあり参加している。
1964年に日本版「007」ともいうべき『秘密探偵JA』を「週刊少年キング」に連載、ヒットさせる。
『秘密探偵JA』の連載終了後の1969年からは、悪人が白バイを操る警察官(階級は警視正)になって悪人を問答無用で裁くというストーリーの『ワイルド7』を「週刊少年キング」に連載。前作をはるかに上回る大ヒットになり、1972年にテレビドラマ化された。『ワイルド7』は1979年に連載を終了したが、その後、要望に応えて『新ワイルド7』、『続・新ワイルド7』、『飛葉』等の続編を発表した。
強弱の強いペン使い、映画的でダイナミックな構図、また、スクリーントーンをほとんど使用しないことも特徴である。
第二次世界大戦の兵器や軍装、戦いの経過等に詳しい。また、「狂」が付く程のサッカーファンとしても有名(ザ・ミイラの監督、藤枝ブルックスのキャラクターデザイン。熱烈な浦和レッズサポーターでもある)。高橋陽一以前からのサッカー漫画の開祖とも噂される。また、漫画以外の様々な分野の世界の人間とのパイプがある。



柳美里


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柳 美里(ゆう みり、유미리、1968年6月22日 - )は、神奈川県横浜市中区出身の在日韓国人の劇作家、小説家である。国籍は韓国。横浜共立学園高校中途退学。現在は神奈川県鎌倉市在住。
妹の友愛里は女優。母親は不動産会社を経営。
東京キッドブラザースに入団。後に演劇ユニット青春五月党を旗揚げ。1988年4月、『水の中の友へ』で劇作家としてデビューした。
1996年以降は、小説執筆に集中している。酒鬼薔薇事件に触発された『ゴールドラッシュ』は、話題を集めた。
1997年1月、著書「家族シネマ」で第116回芥川賞を受賞。在日韓国人による芥川賞受賞は、日本のみならず海外メディアをも賑わせた。特に韓国での盛り上がりは凄まじく、柳が渡韓した際、空港には数百人の韓国人が出迎えた。
芥川賞受賞の余波か、1997年2月に著書「家族シネマ」と「水辺のゆりかご」の出版を記念してサイン会が行われる予定だったが、「独立義勇軍」「新右翼」を名乗る男性から「サイン会を中止しろ。もし中止しなければ客に危害を加える」との脅迫電話がかかり、二度目の電話で「爆弾を仕掛ける」とエスカレートしたため、記者会見を行いサイン会は急遽中止となった。後に愉快犯と判明したが、それについての言及はない。
1997年、本人主演のドキュメンタリー『世界わが心の旅 祖父の幻のオリンピック~韓国~』(テレコムスタッフ)が第14回ATP賞を受賞。
1999年、『柳美里のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)が第36回ギャラクシー賞奨励賞を受賞。
美少女に対して、異様な好奇心がある。学生時代、同級生の女学生に恋をし、相手から嫌がられるほど執拗に交際を迫る内容の手紙を送り続けた。高校中退後も同じ相手に手紙を送り続けたが、結局相手にされなかった。現在でも、吉川ひなのなどのアイドルに興味がある。
福田和也と一時激しく敵対していたが、その後、和解する。2003年には、福田とリリー・フランキーと坪内祐三の4人の共同編集で、文芸誌「en-taxi」を創刊した。
作品は私小説が多く、無頼派の系譜を継ぐ作家とも評される。実在の私人をモデルにすることも多いため、作品はプライバシーにふれるとしてしばしば問題になる。処女小説『石に泳ぐ魚』は、実在の韓国人女性をモデルにしたことにより、訴訟問題に発展し、最高裁で出版差し止め判決がでた。一部の図書館ではこの判決を受けて、同書及び同じ文章を掲載した文芸誌『新潮』の該当部分を閲覧禁止にしている。
2002年から新潮ドキュメント賞の選考委員を務める。
2003年から2005年まで、奥田美和子の歌詞と監修を担当した。奥田が柳に手紙を出して、作詞を依頼したもの。
東由多加と約8年間同棲し、別れたが最後まで友好があった。別の男性の子を妊娠したが破局し、その時も東はよき相談相手であった。その後、東の自宅で同棲を再開。柳の長男を一緒に育てた。東の臨終に立ち会うことは出来なかった。 東は18才の柳に『あなたは演じるより書きなさい』とアドバイス。「私のたった1人の師で、柳美里という作家を生み出した人。最期をみとれず悔しい」と東の葬儀で語った。
2007年4月、初の書下ろしとなる児童書『月へのぼったケンタロウくん』を出版し、東との約束を果たす。

また、『文藝』夏号で、特集が組まれる。


-フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』-

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 谷崎潤一郎の著書のなかで一番好きな本です。 かっこいい文章で、彼独自の美意識を伝えています。 何度読んでも惚れ惚れしてしまいます。欲しかった本です。中身のすばらしさはいうまでもありません。あらためて、谷崎の偉大さを実感です谷崎潤一郎の文章は肉厚で、まろ
2007/09/30(日) 06:43:35 | あやかのブログ
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